「起こるかどうか分からない豪雨災害」の為に「ダム」というものを造る

はじめに

熊本県の球磨川が氾濫した件で、過去に「川辺川ダム」計画を白紙撤回したことの責任が問われています。

その白紙撤回という判断の是非は、ここでは記しません。私にはそれを判断する知見が無い為です。

以下、もう少し一般的な話を「素人意見」として記したいと思います。

災害は起こるかどうか分からない

中には「必ず」と言って良いほどの確率で起こる問題があり、それに対する対策というものもありますが、例えば「ダム」というのは典型的な「起こるか起こらないか分からない」タイプの災害対策となります。他にも地震対策などもそうです。

すなわち、仮に「ダム」を建設しても、その寿命が尽きるまで、想定していたような豪雨災害がその場所で起こらない可能性も少なからずある訳です。

例えば地震対策で言えば、建物を建設する際には公共のものだけでなく一般居住用のものも含めて「一定の地震に耐えられるように補強」して建てている訳ですが、その建物が寿命を迎えたり他の事情で取り壊されるまでに想定していたレベルの地震が一回も来ないことなど普通に有り得る訳です。

もし一度も災害が起こらなければ、その対策は「無駄だった」という判断になるのでしょうか。

「起こるか起こらないか分からないような災害の対策の為に大金を費やすのは無駄だ」というのは一つの考え方であるとは思いますが、それはすなわち「将来の日本国民を危険にさらす」ことになるのは紛れもない事実であり、そして実際に災害が起こると対策していた時と比べて被害が大きくなるのもまた、紛れもない事実ですから、そこはしっかり認識した上でそのような考えを持つことが、大人としての最低限の振る舞いなのだろうと思います。

どちらが「将来世代へのツケの先送り」なのだろう

私は全く信用していませんが、いわゆる「国の借金」論で、「ダムなどを建設する為に国が借金をすると、その借金は将来世代へのツケを先送りしていることになるので、無駄なダムなどの公共事業を減らそう」という意見があります。

(しつこいですが私は全く信用していませんが)仮に「国の借金というツケを将来世代に先送りしている」というのが本当だったとして、公共事業を減らして国の借金額を抑えれば、「国の借金というツケ」は減った代わりに、トレードオフとして「別のツケを将来世代に先送りすることになる」というのは紛れもない事実です。

すなわち、ダムの建設をやめたら「豪雨災害が起きたら巻き込まれるという危険性」を将来世代に先送りすることになりますし、例えば地方の高速道路建設をやめたら「地方のインフラ整備が未完で地方が経済発展しにくく一極集中が起こりやすい構造で暮らしにくい国土」を将来世代に先送りすることになる訳です。

昭和の時代と比べると、何故に現在の暮らしが大きく快適かと言えば、何十年も前の「過去の公共事業」で新幹線や鉄道や高速道路や一般道路などのインフラ整備の便益を現在の我々が享受し、またそれらのインフラを基盤として経済発展した社会の便益を享受しているからであって、仮に当時に「戦後の復興も終わったし、もうこの辺りで公共事業をやめて国の借金を減らそう」なんてやっていたら、現在は移動の快適性がない上に、そもそもインフラが脆弱なら現在ほどの経済発展もしませんので、現在ほど快適には暮らせていない訳です。

今の段階で、「もう社会も成熟したし、インフラ整備なんてやめて、国の借金を減らそう」と決断するということは、将来の日本の発展性を放棄することを意味する訳ですから、すなわち「これ以上は発展しない(しにくい)将来性の低い国」を将来世代に送ることになります。

そういう考え方もあっては良いとは思いますが、「自分は先人たちが汗して働いて建設したインフラによる経済発展により大きな利益を享受しておきながら、自分は将来世代の為の同様の努力はせずに放棄する」という構図となるのは紛れもない事実なので、そのようなことは理解しておくことが、大人として最低限必要なのだろうと思っています。

おわりに

以上、公共事業に関する「素人意見」を書いてみました。