自分の頭でしっかり考えないと、何も成功しない

いわゆる「うまい儲け話」には騙されない、という人が多いのだろうなと思っています。

しかし、そういった直接的な儲け話ではない「うまい話」というものも、世の中には多数あるように思っています。

例えば「こんな資格を揃えていると転職が上手くいきます!」とか、

例えば「こんな話し方をしていれば仕事が上手くいきます!」とか、

例えば「こんなコーディネートをしていれば婚活が上手くいきます!」とか、

世の中にはそういった類の話で溢れています。

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

資格なんて、相当に公的なものは別として、「そんな資格があるなんて知らなかった」と多くの人が思うようなマイナーな資格を無作為に多数持っていたところで、それが転職に有利に働くなんて考えづらいように思いますし、

話のプロになれるほど話術が上達すれば別でしょうが、「日常会話のちょっとした工夫」程度で差が出るような仕事なんてそうそう無いような気もしますし、

結婚すれば何十年も一緒に過ごす訳ですから、婚活なんて相手のコーディネートなんかよりも「相手の中身」を重視するに決まっています。

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

ただ、マイナーな資格であっても転職に役立つケースは皆無では無いでしょうし、日常会話の上達が仕事の上達に繋がるケースだってあるでしょうし、婚活の場でコーディネートが役立つ時もあるでしょう。

肝要なのは、人の言葉に流されて「〇〇には××が役立つのか!」と思考停止的に何かを学ぶのではなく、自分の頭でしっかり考えて必要な何かを学ぶという姿勢が大切であるということです。

「〇〇には××が役立ちます」という誰かの言葉に接する分には全く問題ありません。それを聞いた上で、自分の頭でもしっかり考え、それを取り入れるべきと思うのなら取り入れれば良いし、自分の状況に当てはまらないと思うのなら聞き流せば良い訳です。

自分にとって困難な事柄であるほど、失敗しても失敗してもひたすら自分でしっかり考えながら改善するということを続けないと、成功には結びつかないのだろうと思います。

そんなことを改めて思いました。

自分の将来も考えながら「仕事」をすることが大事

記事の引用まではしないが、こんな記事を読んだ。

若者の時分から20年ほど勤めていた小さな会社をクビになり、次に行くアテもなく路頭に迷っているという内容だ。よくある内容の記事である。

小さな会社で社長のみの力で仕事を取っており、それに付き添っていただけの自分には、顧客との関係性も築けていないというようなことが書かれていた。

その20年間、「自分の将来」を考えることはしなかったのだろうか、と私は率直に思った。

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

現在の私(中年男性)はフリーランスであり、もう12年目だ。

さて、私は新卒で業界の中堅企業に就職したが、9年ほどで辞めて、その後の6年ほどは、上で述べたような「小さな会社」で働いていた。社長の他には、正社員は私を含めて2人で、他にアルバイトが1~2人というような会社だ。

当然ながら入社した当初は、顧客の全ては「社長の顧客」だったのだが、自分も一生懸命仕事をしたり、電話などで世間話をして、そして楽しく飲みに行ったりしていれば、自分の顔を覚えてもらえる。

と言うよりも、社長よりも良い仕事を自分が続けていれば、元々は「社長の顧客」だった人も「自分の顧客」になったりするし、また新規でも「自分の顧客」が増えたりして、すなわち「自分の仕事」が高く評価されるに伴い「自分の顧客」が増えていくことは、極めて当たり前の話であるようにも思う。

ある程度大きな会社だと、そもそも社長と社員の仕事は全く違っていたりするが、専門性の高い職種でかつ少人数の場合、結局は社長も社員も同じような業務をこなしていたりすることは往々にしてあるので(冒頭で紹介した記事もそうだったし私のケースも同様)、そのようなケースでは上で述べたような「自分の頑張りや工夫などで顧客を獲得する」というのは、自分の技術力さえしっかりしていれば、それほど難しい話ではないように思う。

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

冒頭で述べた記事の主旨は、不当解雇であるとか、労働者の権利であるとか、そういったことに触れながら「労働者は守られるべき」というものであった。

その趣旨には基本的に賛同する。自分のことだけでなく、自分の子供の将来のことも併せて考えれば尚のことである。

しかし一方で、例えば会社が倒産するなども含めて「現在の職場」を失う可能性は誰にだってある。「ここにとどまりさえすれば一生安泰だ」なんて言っていられる大企業などに勤める人口よりも、そうでない人口のほうが圧倒的に多いだろう。

「技術力を持っている」「自分の顧客がいる」などの要素は、自分がどこに雇われているかを問わない「自分自身の財産」となる。特に若い時分というのは、そのような部分も意識しながら仕事をすることも大切であると思う。

「起こるかどうか分からない豪雨災害」の為に「ダム」というものを造る

はじめに

熊本県の球磨川が氾濫した件で、過去に「川辺川ダム」計画を白紙撤回したことの責任が問われています。

その白紙撤回という判断の是非は、ここでは記しません。私にはそれを判断する知見が無い為です。

以下、もう少し一般的な話を「素人意見」として記したいと思います。

災害は起こるかどうか分からない

中には「必ず」と言って良いほどの確率で起こる問題があり、それに対する対策というものもありますが、例えば「ダム」というのは典型的な「起こるか起こらないか分からない」タイプの災害対策となります。他にも地震対策などもそうです。

すなわち、仮に「ダム」を建設しても、その寿命が尽きるまで、想定していたような豪雨災害がその場所で起こらない可能性も少なからずある訳です。

例えば地震対策で言えば、建物を建設する際には公共のものだけでなく一般居住用のものも含めて「一定の地震に耐えられるように補強」して建てている訳ですが、その建物が寿命を迎えたり他の事情で取り壊されるまでに想定していたレベルの地震が一回も来ないことなど普通に有り得る訳です。

もし一度も災害が起こらなければ、その対策は「無駄だった」という判断になるのでしょうか。

「起こるか起こらないか分からないような災害の対策の為に大金を費やすのは無駄だ」というのは一つの考え方であるとは思いますが、それはすなわち「将来の日本国民を危険にさらす」ことになるのは紛れもない事実であり、そして実際に災害が起こると対策していた時と比べて被害が大きくなるのもまた、紛れもない事実ですから、そこはしっかり認識した上でそのような考えを持つことが、大人としての最低限の振る舞いなのだろうと思います。

どちらが「将来世代へのツケの先送り」なのだろう

私は全く信用していませんが、いわゆる「国の借金」論で、「ダムなどを建設する為に国が借金をすると、その借金は将来世代へのツケを先送りしていることになるので、無駄なダムなどの公共事業を減らそう」という意見があります。

(しつこいですが私は全く信用していませんが)仮に「国の借金というツケを将来世代に先送りしている」というのが本当だったとして、公共事業を減らして国の借金額を抑えれば、「国の借金というツケ」は減った代わりに、トレードオフとして「別のツケを将来世代に先送りすることになる」というのは紛れもない事実です。

すなわち、ダムの建設をやめたら「豪雨災害が起きたら巻き込まれるという危険性」を将来世代に先送りすることになりますし、例えば地方の高速道路建設をやめたら「地方のインフラ整備が未完で地方が経済発展しにくく一極集中が起こりやすい構造で暮らしにくい国土」を将来世代に先送りすることになる訳です。

昭和の時代と比べると、何故に現在の暮らしが大きく快適かと言えば、何十年も前の「過去の公共事業」で新幹線や鉄道や高速道路や一般道路などのインフラ整備の便益を現在の我々が享受し、またそれらのインフラを基盤として経済発展した社会の便益を享受しているからであって、仮に当時に「戦後の復興も終わったし、もうこの辺りで公共事業をやめて国の借金を減らそう」なんてやっていたら、現在は移動の快適性がない上に、そもそもインフラが脆弱なら現在ほどの経済発展もしませんので、現在ほど快適には暮らせていない訳です。

今の段階で、「もう社会も成熟したし、インフラ整備なんてやめて、国の借金を減らそう」と決断するということは、将来の日本の発展性を放棄することを意味する訳ですから、すなわち「これ以上は発展しない(しにくい)将来性の低い国」を将来世代に送ることになります。

そういう考え方もあっては良いとは思いますが、「自分は先人たちが汗して働いて建設したインフラによる経済発展により大きな利益を享受しておきながら、自分は将来世代の為の同様の努力はせずに放棄する」という構図となるのは紛れもない事実なので、そのようなことは理解しておくことが、大人として最低限必要なのだろうと思っています。

おわりに

以上、公共事業に関する「素人意見」を書いてみました。

「テレビ」というのは視聴者を心底から「見下している」ように感じる

テレビ番組を作っているテレビ局や関係者の人たちというのは、視聴率を稼ぐために「視聴者=お客様」と捉えているとは思うのですが、その視聴者たちを真の意味で喜ばせたり幸せにしたいと考えているというよりかは、

「視聴者の大多数の思考のレベルなんて大したことないから、その程度の知的レベルの視聴者にウケが良いように適当に演出しておけ」

と考えている人たちが結構多いのではないか、と私は思っています。

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

ドラマやお笑いのコントなどはそもそも「フィクション」ですから良いのですが、「ノンフィクション」の体をなしている番組でも「演出」と称して平気で事実を捻じ曲げる。

芸能人のプライベートを紹介する番組で、例えば有名人Aさんは普段の番組での姿と実生活での姿はこんなに違うんですよ、という番組なら、ギャップが大きいほど「面白い」からと「実生活の姿」のほうも脚色するとか、そんな話もあるのだろうと思っていますが、それはまだ本人が良いのであれば、ギリギリ許容の範囲かも知れない。

しかし明らかに「意外な”事実”だから面白い」という番組でも、その「事実」を平気で捻じ曲げる。有名な例を一つ挙げると、やらせが発覚し番組が終了になった『ほこ×たて』という番組がありました。そしてそのような事例は最近でも起こっています。

更には面白さではなく「役立つ情報」でさえも事実を平気で捻じ曲げる訳です。有名な例では『発掘!あるある大事典』という番組がありました(捏造が発覚して番組は終了)。

そしてごく最近の例でも、例えば新型コロナウィルスに関連して「気の緩みで自粛ムードが薄れてきて人出が増えだした」と言いたいが為に、2日前の写真と称して何ヶ月か前の、本格的な自粛が始まる前の「人出が多い写真」を平気で垂れ流している訳です(『バイキング』という番組)。

そんな写真は季節感が異なるのですぐにバレる訳ですが(ネット上で炎上)、「写真を取り違えてました~」と謝って終わりですから、気楽な商売だなと思います。

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

私は冒頭で述べたような構図に気づいてからはテレビを全く見なくなったので、もう十年以上「原則的にテレビは見ない生活」を続けているのですが(従って近年の捏造などの事例はネットニュースなどで知っている)、「大多数の視聴者は多少のウソがばれたって、すぐに忘れてずっと見てくれるさ」なんて適当に考えているからこそ、いつまで経ってもヤラセや捏造などの問題が無くならないとしか考えられない訳です。

近年はテレビをほとんど見ない若者が増えていると聞きますが、老若を問わず「テレビを見ない人」が増えても不思議でも何でも無いというのが私の率直な感想です。

「自分が若い頃のことは棚に上げて」という中年にはならないようにしたい

有名人か一般人かは別として、比較的若い世代の人たちの行動や考え方などに触れて、もうすぐ50歳の私(男性)なんかはつい「今時の若者は」と考えがちです。

しかし自分が若者の頃はどうだったのだろう。

確かに詐欺などの犯罪とか、いわゆる「バカッター」のような迷惑行為とか、そのようなものは自分が「アホの若造」だった時でもしたことがないどころか、やろうと思ったことさえありません。

しかし、例えば挨拶がなってないとか、言葉遣いがどうであるとか、そのようなことは自分が若い頃だって大したことがありませんでした。

何かの事柄に関して「国全体の利益を考えたら、こうな風に行動すべきだろ」とか、今でこそそんな風に考えることが増えましたが、自分が例えば20代前半の「本格的にアホな若造」だった頃なんて、そんな考え方は確実にしてなかったように思います。

確かに「自分が若い頃のことは棚に上げて」でも言ったほうが良いこともあるとは思っています。典型的な例を一つ挙げると「交通安全」に関するもので、たとえ自分が若かった頃のクルマの運転とか、もしくは自転車の乗り方とか、それらが危険なものであったとしても、それを反省し現在は正しくしているのなら、子供や若者に対して「危険な運転(乗り方)はやめたほうが良い」と言っても良いと思っています。

ですが、なんでもかんでも「自分の若い頃のことは棚に上げて」、現在の若者に対して「今時の若者は~」と苦言を呈している中年というのは、率直に言えば「カッコ悪い」と思う訳です。

そんなことを改めて思いました。