「専業主婦」という生き方もまた素晴らしい

ネット記事で、「専業主婦になりたい」という女性に対して批判的な声が集まった、というような内容のものをたまに見かけるのですが、それについて思うことをいくつか記します。

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まず、時代の流れにより「男女平等」とか「女性の社会進出」がどれだけ声高に叫ばれる時代となっても、「専業主婦」になる女性は一定数残って当然だと思います。

何故なら、「妻には専業主婦になって欲しい」と考える男性が一定数居る為です。それに「出来れば専業主婦になりたい」と考える女性も一定数居る訳ですから、そういう男女が出会って結ばれたら、余程の事情が無い限りは女性は「専業主婦」になるでしょう。

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「専業主婦が認められている社会なんて不公平、不健全だ!」と考えられる方が居られるのかも知れませんが、仮に「専業主婦を禁止する法律」があったとすると、上記のような男女が出会って結婚しているにも関わらず「国家の強制力(法律)によって専業主婦という生き方を否定されている」ということになる訳ですから、そのような社会のほうがよほど不健全だと思います。

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結局、例えば国家が個人の生き様に口出しするようなことは出来るだけ無い社会のほうが望ましいのと同様に、赤の他人が人の生き様に対してあれこれ口出しするという行為も出来るだけ慎まれるべき、というように率直に感じる次第です。

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「共働き」という家庭も素晴らしいし、「専業主婦」もまた素晴らしくて、両者は対立するのではなく認め合っており、そして状況に応じて個々人がどちらの立場にも入れ替わることが出来て、そしてどのような立場になってもその生き様を尊重される、というような社会が望ましい姿なのだろうと改めて思いました。

「持続化給付金」詐欺をすれば逮捕されても仕方ない

新型コロナの影響で売上が大きく下がった個人事業主(一般に自営業やフリーランスなどと呼ばれる人たち)に対して国から最大100万円が支給される「持続化給付金」という制度があります。

この「持続化給付金」に関して、自分が個人事業主ではないにも関わらず、偽って「売上の下がった(支給対象の)個人事業主」であると虚偽申請し、不正に給付金を受け取っていた人たちが、詐欺の疑いで逮捕されていると報道されていました。

色んな報道を見ていると、大学生などの若者に対して「お金がもらえる」と勧誘する詐欺グループがあって、誘いに乗ってきた若者に指南して虚偽の申請をさせて、振り込まれた100万円の内のいくらかを本人に渡して、残りを詐欺グループが持っていく、というような構図であるのだろうと想定して警察が捜査を進めているようです。

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逮捕されているのは詐欺グループ側の人間の他、若者「本人」にも逮捕者が居るようです。と言うか、確か逮捕者第1号は「普通の大学生」だったように記憶しています。

そのような若者(大学生など)は、「詐欺グループに騙された被害者」と言えなくも無いのでしょうが、いわゆる一般的な「被害者」とは少し違うようにも思います。

と言うのも、給付金(最大100万円)の丸々ではなく一部(例えば20万円)であっても、「自分がトクすることが出来る」という動機によって行動している訳ですし、更には自分の財産の持ち出しもなく、すなわちいわゆる詐欺事案のように自分の既存の金品を騙し取られる、という危険性はゼロという構図の事案ですから、普通に考えれば「出来過ぎた上手い話」と誰でも分かるような構造である訳で、そんな話に乗っかって「自分も儲けよう」と実際の詐欺的行動(虚偽申請)を行った者が「純粋な被害者」である訳などないと率直に思うのです。

また、SNSなどでそのような情報を得たり申し込んだりしている訳でしょうから、すなわちスマホなどの「通信手段」を持っている人であるということになりますので、少しでも怪しいと思って「持続化給付金」とキーワード検索すれば解説ページは山ほど出てくる訳でして、それらを読めば「自分は対象ではない」ということなど「日本語が読める人なら誰でも分かる」というような話でもあります。

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と言う訳で、

・上手い儲け話など世の中にはそうそうない
・得た情報が正しいのか否かは自分でしっかり調べる
・人様の財産や国の財源に不正に手を付ける行為は最低な行いであると心底から理解しておく

など「大人(18歳以上)になるまでには『常識』として身に付けておくべきこと」に関して、親が子供にしっかりと教えておくことの重要性を、私も中学生の親として改めて感じた次第です。

惣菜コーナーの「ポテトサラダ」に「愛」はあるか

はじめに

ツイッター発で「ポテトサラダ論争」が起こっているようです。

高齢男性が、総菜コーナーでポテトサラダを買っていた幼児連れの女性に対して、「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ」と言い放って立ち去った光景を目撃したことを述べたツイートをきっかけに、主に「そもそもポテトサラダって簡単に(手間なく)作れるのか」といった観点から論争が起こっているようです。

どちらにしても、この高齢男性の行動は好ましからざる振る舞いであるというのは、多くの方々の一致した意見のようですし、私のその通りと思います。

手間に感じるか否かは個人の感性により様々に違いない

ポテトサラダを手作りすることが手間だと感じるか否かは、個人の感性により様々であるのだろうと思います。

そもそも料理が好きな人なのか、好きではないが必要に応じてやっている人なのかでも感じ方は大きく違うでしょう。

多種多様な考えの人たちが集うこの世の中で、「手間だ」「いや簡単だ」と白黒つけることに大した意味はないと、個人的にはそのように思います。

私は食べなくなった

私(中年男性)は独身の時は惣菜コーナーのポテトサラダを普通に食べてましたが、結婚してから徐々に食べなくなりました。理由は単純で、妻の手作りのポテトサラダのほうが随分美味しく、両者には相当の差を感じる為です。

妻に作ってもらったら美味しいものを、敢えてそれより美味しくない「出来合い」を買って食べることに抵抗を感じて、食べなくなった訳です。

是が非でも妻に作ってもらう、という訳ではなく、事情により買って食べる場合は、ポテトサラダ以外の「そこそこ美味しいと感じるもの」を買えば済む話です。

美味しい総菜もある

例えばトンカツなら、これも妻の手作りのほうが美味しいのですが、総菜コーナーのトンカツでも結構美味しいものもあります。そういった総菜はトンカツ以外でも多数ある訳です。

もっと言うと、「これは妻の作るものより美味しいかもなぁ」とか、「こんなものは家では実質的に作れないだろうなぁ」というような美味しい総菜も中にはある訳です。

せっかく買う訳ですから、出来るだけそういったものを買おうと意識しており、すなわち「妻に作ってもらったり、もしくは自分で作るものより、明らかに美味しくない」総菜は出来るだけ買わないようにしている訳で、そんな中の一つがポテトサラダなのです。

手作りしない人は「愛」が足りないのか

とあるテレビ番組で、とあるアナウンサーが、総菜よりも手作りのほうに愛を感じる、というような発言をしたとかで、それも記事になっていました。

言いたいことは分かりますが、そのように感じるのか、それとも「食べ物が手作りか総菜かなんて愛の深さには関係ない」と感じるのか、これも「人それぞれ」としか言いようがないように思います。

また状況によっても「手作りではなく総菜」の意味が変わってくるでしょう。例えば私の場合で言えば、この数年間の妻は息子の部活の付き添いに忙しく(息子は主力選手だった)、更には(既に亡くなりましたが)近くに住む私の病気の母親の看病などもしてくれていて、それで時間に追われて「総菜」が増えたとしても、こんな状況で「愛が無くなった」とか思う訳が無い訳です。

ただ、私自身のことは良いのですが、息子には出来るだけ手作りのものを食べて欲しいと私自身が思っているので、自分でも作れるレパートリーを増やして、妻と息子が部活で遅く帰宅する日は私が出来るだけ手作りしていました。

おわりに

冒頭で述べた高齢男性の行動は「色んな人が居るので多様性を認めよう」では済まされないほど「人間としてダメな行動」であると思います。

一方でポテトサラダを作るのに手間を感じるか否かや、もしくは「総菜より手作り」に愛を感じるか否かなど、本当に「人それぞれ」で良いと思います。

フリーランスは「自由を謳歌する」だけでなく「備えに対する自己責任」も必要

新型コロナに関連したニュースで「フリーランスの人は収入が途絶えて大変だ」みたいな記事をよく目にします。

確かにサラリーマン等とは異なり、フリーランスの場合は仕事が無くなると、その途端に「収入がゼロ」となりますから、大変と言えば大変です。

ですが、フリーランスというのはサラリーマン等と比べて「組織に縛られない」という意味での「多大なる自由」を手にしている訳ですから、それに比例して「もしもの時の際の備え」に対する自己責任の度合いが大きくなるのは当たり前の話です。

先ほど読んだ記事のケースでは「年収600万円台で約10年」も続けているフリーランスのケースでしたが、それでも新型コロナで仕事が無くなった途端に貯蓄が底をつきかけて「困窮」しているということだったのですが、約10年もの間、何も備えをしていなかったのかと、非常に疑問に感じました。

いや、フリーランスを始めたばかりのケースであっても、サラリーマン等からの転職の場合は転職前に一定の備えをしてからフリーランスとして開業すべきでしょう。

「学生の起業」の場合だけはどのように対処すべきか分かりませんが(自分に経験が無い為)、最初は普通に就職してサラリーマン等になり、それを踏まえて独立開業してフリーランスになるケースであれば、開業前に一定の備えをしておく必要がありますし、また開業後も常に「もしも」の時のことを考えて「備えの積み増し」をすべきと思います。

それは「過度の自己責任論」でもなんでもなく、普通の大人として、「組織に縛られない自由な生き方」を自ら積極的に選ぶ者としての、当たり前の「責任」であると思います。

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私(中年男性)はサラリーマン経験を経て、独立開業してフリーランスになり十数年が経ちますが、上で述べたようなことは常に意識していますし、実際に明日から収入がゼロになっても、妻と子と三人で贅沢しなければ、少なく見積もっても一年は生活していけるだけの貯蓄を残してあります。そしてそれは収入がゼロとならない限りは「虎の子」として死守すべき対象なのであって、贅沢等の為に費やすことはありません。

「収入の割には色んな支出を抑えている(ようは高価なものを買ったり贅沢な外食や旅行などをしない)」という感じで過ごしていますが、「自分の自由」と「家族の生活」を両立して守る為ですから当たり前の話だと思っています。

新型コロナなどの非常事態がなくても、単に自分が病気になって入院でもすれば、何ヶ月という単位で収入が途絶えることがあっても不思議でもなんでもない、というのがフリーランスという立場です。

そして、そのような自己責任を背負ってでも、それでも捨てがたいと感じるほどの「多大なる自由」を実感できるのがフリーランスという立場であると感じています。

不倫をする人の「言い訳」にはウンザリする

たまにネット記事で「不倫をしている女性」(匿名)のコメントなどを見ることがあります。

例えば、夫との関係だけだと息が詰まるが、不倫をすることによって自らの心が安定して夫婦関係もむしろ良くなっている、だとか、

例えば、子供のことを考えると離婚は出来ないが夫から心は離れているので、すなわち子供の為に仕方なく夫婦関係を続けている訳だから、不倫はしても当然だとか、

「よい大人がそこまで都合よく自己弁護出来るのか!」

と呆れてしまいます。

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男女を問わず、「不倫なんて犯罪(刑事罰のある行為)ではないし、するもしないも人の自由なので、私は不倫してます!」と言っている人のほうが、随分マシな気がします。何故なら「人のせい」にはしておらず、「自ら主体的」な思考となっている為です。

逆に先述したような、「むしろ良好な夫婦関係を続ける為に」とか、「子供のことを考えると離婚できない」とか、これって不倫という「自らの享楽」の為の言い訳に配偶者や子供など「家族」を持ち出している訳ですから、私の個人的な印象ですが「大人として相当恥ずかしい」というレベルだと思います。

そんなことを改めて思いました。